昨日で50歳になりました。ビッグボスと誕生日《年・月・日》が同じ(笑) 日ハムの監督に就任し生き生きと自分らしさを発揮する新庄剛志さん。慎重に、でも直感も大切に、正しく、そして楽しく。。私もそうしていきたい。。 その他チワワのプリンの近況の記録…
小5の三男が宿泊学習のため不在だった先週、これまでずっとやってみたかった、やれそうでやれなかった「健康ランドでひとり時間を気にせず何時間も何時間も過ごす」をこのたび決行! そこで初めて利用してみた岩盤浴の事を記録しました。
自分も乳がん経験者で清水さんの奥様と同じ2014年に発覚しましたが、今こうして日常の生活に戻ることができています。また、自分自身が以前がん闘病の夫を看取った経験もあります。記事の中の「乗り越えなくてもいいし、いつまで引きずってもいい、今を頑張…
今日の記録は以下の3つ、①私の薬の飲み忘れ対策 ➁ブロガーさんのレシピが美味しかった件 ③三男のヴァイオリン練習を久々に動画アップ。 また家族でのBBQの様子を、子供達の変化なども交え思い出を綴りました。
乳がんが発覚した7年前の、手術のあと8月7日から抗がん剤治療がスタートしたあの夏は、札幌の今のような35℃が3回もなんて暑さも想像できなければ、こんなに自分が元気になれているとも思わなかったし、7年後は、良くも悪くも色んな事が起きています!
今回の朝ドラ「おかえりモネ」観ていると実家が恋しくなります。家業に勤しみながら母・妻・嫁の立場で奮闘するモネのお母さんとうちの母が重なります。昨日はそんな母の誕生日でした。私の育ての母、、産みの母、、思うことを綴っています。
今年に入り買ったもので気に入っている、重宝している、癒されている、そんなモノ達.。最後はお気に入りのモノ=写真 ばかりになってしまいましたが、今日はそんな日常の記録です
学校にお弁当を持参する日、母親が弁当を作るのを忘れたらどうしようと考えていた息子のリアル書き置き(笑)その他、乳がん検診の受診率が低い北海道、早期発見のために検診をススメたく、私の抗がん剤治療の様子も添えて綴ります。
今回の乳がん定期検査の項目は、肺のレントゲン、左右の胸と肝臓のエコー、採血、そして最後に主治医の診察(触診と検査結果についてなど)でした。帰る途中に参拝した札幌市内の神社のことも書いておきます。
抗がん剤の副作用による症状で辛かった部分は順調に回復していきましたが、今も両足の親指と隣の指の爪だけが〈写真〉のように曲がって変な方向にのびたまま、普通の爪切りじゃ挟めない数ミリの厚さに変形し、不気味な姿で定着しています
実は今年の夏にやらかしてしまいました。気づけば手術した側の右腕が痛ダルく、重く、比べて見たら左右の腕の太さが明らかに違う。。しかも合併症である蜂窩織炎を疑う赤みもあり、一気に緊張感(泣)前回よりレベルアップした治療をしなければならないこと…
放射線治療で照射を受けた場所。左から初日 CT撮影そして照射位置のマーカー付け、治療3週間目第17回の治療日(変色あり)、右端は現在の表面、ゴツゴツしていますが、これが自分。体に起きたこと、家族との暮らし、残しておきたい記録
抗がん剤副作用が蓄積されたのとヒスロンHの食欲増進による体重増加で、足がむくみ、体は重く、ダルく、体調不良が続きました。あんなに食欲を抑えられない不思議な経験も初めてで、足は浮腫んで象のような足になっていました。
がんの発症は私にとって強烈な目覚まし・・・ 病気になるような生き方を変えてみなと試された・・・ そうでもされないと気付かなかった自分でした
乳がんの手術をしてから丸1年が経ち、おおきな治療がひと段落したころでした。 怖かったけど、無事にここまできたという安堵、 ただ自分の心の揺れや思いを綴っただけですが、 経験したことが同じく乳がんを告知された方の心に届けばという、そんな思いもあ…
私はものすごい高価なウイッグを、意を決して購入したのでした。 けれど、髪が抜け出し、いざ装着すると違和感があり、、、 見た目もイマイチ、、、老け感満載、、、 でも着けたことないけど、こんなものなのかなヅラって、、、 でも高いの買っちゃったし髪…
「 私も乳がん患者です。発見当初8cmのしこりで乳房も胸筋のリンパ節もすべて切除しました。 そして抗癌剤治療とホルモン治療を術後に行っていたのですが、2年後に肺に転移、その後胸膜にも転移しています。 それでも発症から8年、元気に暮しています。…
手術をし病理検査がわかってから、 7月の末に骨シンチやPETなど多臓器への転移はないか検査を受けたり結果を待ったりしたあの期間が、 1番キツく、悪夢の中にいるような毎日でした。 多臓器への転移はなかった、 よし、あとはどん底から上に向かうだけ。
私が乳がんと診断されたのは2014年の6月で、手術が7月、 8月からは化学療法(抗癌剤治療)が始まることになりましたが、 実はその年の9月に初めて広島へ家族旅行をする計画を立てていて、 その年の3月には既に飛行機のチケットや野球観戦のチケット、ホ…
明日、42年間ここについていたオッパイがなくなる。 役目を果たし、悪性の腫瘍に気付かせてくれ、 腫瘍ごと犠牲になり持ち去っていってくれる。 自分の体の一部ながら、我オッパイを誇らしくも思えました。
乳腺外科クリニックは、 乳腺外科医が4人いて、中でも院長と副院長が腕が良くて有名らしく、 でも人気の医師を指名したらその日に診てもらえないかもしれないし、 とにかく早くこの先を進めたかったのでそこは成り行きに任せようと腹をくくりました。
しこりを見つけ熟睡できないまま迎えた2014年6月16日の朝、 出勤する旦那と高校生の長男、中学生の次男を見送り、 一番下の幼稚園バスを見送ったあと、 とりあえず家から一番近い乳腺クリニックへ向かいました。
これまで何の兆候もなく、 癌になるなんて想像もつかず危機感も全くなかった私が、 胸のしこりに自分で気付いたのは2014年6月15日、日曜の深夜のことでした。 当時3才の三男といつもどおりに布団に入り眠っていましたが、 左胸に張るような鈍痛を感じました…
罹患してしまったからには、ただただ、 目の前のことをひとつひとつ対処していくしかありませんでした。 「人事を尽くして天命を待つ」 心がボキボキ折れそうになることが何度もありましたが、 この言葉を何度も自分に言い聞かせてきました。