乳がんになって目が覚めた

乳がんになって目が覚めた

これまでの治療時の記録、また、当たり前に朝が来て過ごせている感謝の日々、そこから残していきたいことなども書いていきます。

【回想録③】やっぱり悪性腫瘍、右乳がん確定

急いで病院を決めなければならない

まずは、自分たちで”間違いない病院選び”を早急にしなくてはと慎重になりました。

旦那は仕事柄、医療関係ということもありそのルートで、

私はひたすらインターネットで評判良さそうなところを探し、

その結果、互いに1番の候補にあげた病院は一致していました。

最初に行った別の乳腺外科クリニックでは「悪性に間違いないでしょう」ということでしたが、

そこの医師の言う通りに、そこですぐには決めず、

改めて家族で話し合い改めて病院を決めたのでした。

(最初に行った乳腺外科クリニックでの記事はこちら

  【回想録】胸のしこりを見つけ初受診。マンモグラフィでは写らずエコーに写る

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私たち夫婦がそれぞれ調べて一致した乳腺外科クリニックは、

乳腺外科医が4人いて、中でも院長と副院長が腕が良くて有名らしく、

でも人気の医師を指名したらその日に診てもらえないかもしれないし、

とにかく早くこの先を進めたかったのでそこは成り行きに任せようと腹をくくりました。

案の定、2014年6月17日その日は患者さんが混みあっていて、

私を担当してくださったのは4番手の若手医師。

そこから主治医となったその先生に様々な検査を施していただき、

乳がんの確定診断から手術の執刀、治療、

その後の経過も全て委ねてきました。

突然の癌宣告、何がなんだかわからない状況の中、

良い先生と出会えたことは本当に幸せなことだったと思います。

 乳がん告知、手術までの気持ち

自分が乳がんとわかったその日から、

毎日の家事育児に追われつつスキマ時間は常にスマホで検索、

寝ても覚めても乳がん」について検索していました。

前の夫が闘病していた2003年ごろというのはガラケーだったので、

情報は書店しかなく、病気・健康のコーナーでひたすら夫の癌について調べては為すすべがないと知り、

ただただその場で茫然としていました。

そして私が乳がんとわかった6年前は良くも悪くも情報が氾濫しており、

全てを鵜呑みにしては、一喜一憂、

病気のせいではなく癌になってしまった衝撃で食欲もなくなり、

夜も眠れずスマホの情報に揺さぶられながら言いようのない緊張感で常にギラギラしてました。

2003年のその時と2014年のその時で同じだったこといえば、

癌だとわかってから朝目覚めたとき「夢じゃないんだ」と、

朝なのにスーッと真っ暗闇に堕ちていく瞬間でした。

2014.6.16. とりあえず近くの乳腺外科クリニックを受診

             17. 改めて病院を探し別の乳腺外科クリニック受診   

          18. クリニックが提携している総合病院でMRI検査

                     (右乳房全体に癌が散らばっている画像に衝撃)

          20. 乳腺外科クリニックにて針生検          

           24.. この時点での診断結果は「右乳癌(硬癌)」       

浸潤癌で乳房切除手術、腋窩リンパ節郭清のため手術は7月4日に決定

術後の病理検査によっては化学療法や内分泌治療など行っていくとのこと

 

前の夫の手の施しようがなかった癌と違い手術のあとに私は治療ができる、

死んで家族を置いていかないで済むための努力をする時間が私の場合はある、

後ろを振り向かなかったとは言えませんが、

後ろを向いても前を見る方向に常に修正されました。

そのうち、前でも後ろでもなく、やっぱり大事なのは「今」だということを気付かされました。

今をどう生きるか、今この瞬間が大切だということを。

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たくさんの乳がんブログから情報を得て助けられた

自分は6年経って今やっとこうして振り返り記録する余裕ができてますが、

過酷な病状と闘いながら、また、治療を経験した多くの乳がん患者さんが、

ブログで情報を発信してくれている頼もしい行動に、当時はとても救われました。

いろいろな癌があり、

乳がんでも幾つかの種類があり、

それぞれの症状があり治療もそれぞれ。

現実を受け入れ、家族のために、自分のために闘っている様子、

また、病院選び、医師選び、そして治療にも選択肢があることも知りました。

自分の場合は、

突然のことで知識もなければ余裕もなく、

10日後にすぐに手術が決まるような状況でしたので、

とにかく医師の言いなりといってもいいほど。

でも主治医を信じる信じない以前に、

その時はお任せして突っ走るしかなかった状況だったことが、結果、良かったのだと思います。

「ラッキーな事案」に過ぎなかったのかもしれませんが、ご縁といいますか、

助けていただいたという感謝と、

接していく中で信頼の気持ちが後からどんどんついてきて、

その後、自分自身に対する自信や支えにもなっていきました。

 

どちらかというと自分の場合はこれまで、

考え込んで答えを探したり方向を慎重に決めたりするよりは、

見えない力に押させるかのように流されてみて『凌げた』ことのほうが多かったように思います。

すべてを流れに任せ、他力に任せていいわけではありませんが、

元来、深く考えすぎるタチ(性質)で優柔不断寄りの私には、

「なるようになる」ことだってあるんだという思考も持った方がよいということなのかもしれません。

ネガティブ思考がいつまでも強くまとわりついていたので、

特に自身が癌という病気にかかってしまったことについては、

「生き方を変えなさい」という強烈な目覚ましだったのではないかと思います。

 

ただ、そうして目の前のことに慌ててはグルッとひとまわりして納得、

見つめなおす時間だった、結果よかった、

などと私ひとりでやるのは勝手ですが、

家族はどれほどの心配と不安を目の当たりにしていたか。

 

当時も今も、笑ってそばにいてくれる旦那と子供たちには

「ごめんね」と「ありがとう」

シンプルな、そんな感謝でいっぱいです。

 

 

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このとき長男は高3で、小学校から続けた野球が最後の時期でした。

次男も同じく続けてきた野球で最後の中体連の試合時期でした。

発達に遅れがあると疑いがあった三男は幼稚園にやっと慣れてきた時期でした。

2014年の初夏のあの当時の緊張感は、今でも忘れられません。

 



 

 

 手術や病理検査の結果、治療については次の回想録で・・

purikoko.hatenadiary.com