【回想録④】そして入院、手術、病理検査の結果
右のオッパイありがとう、おつかれさま
入院し、右乳房摘出手術の前夜にシャワーを浴びました。
温存ではなく全摘を勧められたときも、さほどショックはなく、
それで命が助かるならなんぼでも取って下さいくらいの勢いでした。
けれど、いざシャワーを浴びようと服を脱ぎ右のオッパイを見おろしてみると、
言いようのない切なさが襲ったのでした。
思わず右のオッパイに手を当て、
「ありがとうね。」と、つい口に出てしまいました。
不思議と切り取られる怖さやショックなどでは無く、
もともとコンプレックスだったぐらい小さな小さなオッパイだったので、
自分としては片ほう無くなっても特に未練も不都合もなかったのですが、
ただただ、無事に3人の子供達に母乳を飲ませる役目を果たしてくれた安堵と感謝の思いで、胸がいっぱいになったのでした。
明日、42年間ここについていたオッパイがなくなる。
役目を果たし、悪性の腫瘍に気付かせてくれ、
腫瘍ごと犠牲になり持ち去っていってくれる。
自分の体の一部ながら、我オッパイを誇らしくも思えました。
そのまま少しの間、狭いシャワー室の脱衣所でジッと手をあてていました。
そうしてちゃんとお別れができ、
いざ出陣、
翌日2014年7月4日、乳房切除手術が無事に執り行われたのでした。
手術の内容、そして病理結果にまたも緊張が走る
正直、6年たった今、詳しいことを忘れてしまってることも多く、
以下、保管していた病理結果のプリントを見返しながら、
思い出しながら順に書き留めていきたいと思います。
- 右同時性多発乳癌(浸潤性乳管癌、非浸潤性乳管癌)
- ①腋窩リンパ節への転移は10個中5個
- ②女性ホルモン依存症あり エストロゲン受容体80%陽性
- プロゲステロン受容体80%陽性
- ③HER2過剰発現なし
- ④Nuclear grade 1
どうやら、先生はハッキリとはおっしゃいませんでしたが(怖くて私も聞けないでいて未だにきちんと聞いていません)
腫瘍は大きいもので2センチぐらいで、あとは小さいものが幾つも。
更にこの手術ではリンパ節への転移が5個もあったということで、
自分でいろいろ調べてみたところ残念ながら私の乳がんはステージでいうと「3」だということが分かりました。
私がいた入院病棟には、何人も新規の乳がん患者さんがいて、
友達になり、励まし合い、笑い合い、入院生活は意外に楽しいものでした。
けれど、みんなそれぞれ同じ乳がんでもタイプが違い治療法が違う中、
私だけが〈退院後に強い様々な副作用のある化学療法(抗癌剤治療)をしなければならない〉ことになり、
どうして私ダントツでこんなに状況が悪いんだ...と苦しくて、
ひとりコソコソもがいていたのを覚えています。
でも、治療の違いはあれど、
誰もがみんな葛藤を抱え苦しい思いでいたはずです。
単純に癌になってしまうことはショックだし、怖いし、
それぞれに半端ない不安を抱えている、
その後どう受け入れどう立ち向かうのか、それも人それぞれ。
わかってはいるのだけれど、
実際は笑っていられる時間もあれば情けないほど悲観的にもなりました。
治療したってすぐ私の場合はどうせ転移しちゃうんじゃないのかな...
夜は病室のベッドの中で今後のことを考えてはメソメソと、ひとり”不安”とのバトルでした。
以下は、私の乳がんに対して行われた治療法についてです。
内分泌療法(ホルモン療法)については、5年経過後の現在も再発予防の効果が高いということで服用を続けています。
転移が5個、抗癌剤治療をする、
さらにはこの後、手術前は「全摘をするので必要ないでしょう」とのことだった放射線治療を抗癌剤治療のあとに行うことが決まったのでした。
そんなにしなきゃならないくらい悪いのかと、
やはりこの時は情けないほどに怯えまくりました。
- 内分泌療法 タモキシフェン(抗エストロゲン剤)5年間
- 化学療法 ①ドセタキセル 3週間ごと外来点滴 6回
- ➁MPA(ヒスロンH) 2週間先行投与
- ③CPA(シクロフォスファミド)+
- エピルビシン 3週間ごと外来点滴 4回
けれど、今、こうして無事に元気にブログを書いています。
念には念をの妥協のない治療法と、
ある程度自分なりに「もう癌細胞を元気にさせない暮らし」を意識したからなのかもしれません。
幸い今のところ転移もなく過ごして来れたこれまでを、
今後の自分自身のためにも改めて具体的に思い起こし綴ってみたいと思っています。
まずは次の回想録より、
2014年8月から開始した抗癌剤治療の日々をふり返っていきます。