北海道の四季にいつも癒されていた
ひとり秋晴れを満喫して歩く
久しぶりにウォーキングをしてきました。
乳がんに罹り、どうやって再発を防ごうと模索していく中で、
運動(特に有酸素運動)が体にとってどれほど大切なことかというのを知りました。
程よい位置に広い公園があるので、
往復しながら、森林浴も楽しみます。
また天気が悪いときは家庭用エアロバイクをこいだりしています。
全力でランニングするでもなく、ゆっくり歩くでもなく、
一番いいのは ”早歩きでウォーキング”
1週間に3~4日、30分から1時間、ほどよく汗ばむ程度、
誰かと一緒であれば会話ができる程度のペースが理想だそうです。
私は専らひとりで歩きますが、
好きな曲を聴きながらテンポに合わせて軽快に歩くのは、
本当に気持ちが良いものです。
風を受け、日の光を浴び、緑の木々に囲まれ、
鳥のさえずりや虫の声しかしない贅沢な時間。
そして帰宅してシャワーを浴び、お湯に浸かるときがまた至福のとき。
こうやって過ごせることに、感謝でいっぱいになります。
副交感神経が優位になっている状態なのでしょう。
私はまさに交感神経が優位になる環境が多かったように思います。
自律神経を整えるため、ひとつひとつ規則正しい生活を心がけていくように意識してきました。
癌だとわかり、手術をし、1年かけて大きな治療が終わりました。
その後、定期検査を受けながら、そして体がどこかおかしいと常に転移を疑い緊張しながら、
なんとか無事に5年が経過し6年目を迎えています。
孤独な気持ち
病気になってからは常にどこか孤独でした。
秋に美しい銀杏並木が視界に飛び込んでくると、
ハッと時が止まります。
冬の白く美しい銀世界も、
雪が溶け花や木の芽ぶく姿も満開の桜も、
真夏の照り付ける眩しすぎる太陽も、
一瞬、その無音の止まった空間に身を置いたまま、
「来年もこれを見ることができますように」と目を凝らします。
家族みんなでゲラゲラ笑い、楽しい時間を過ごしているときも、
旦那が運転する車に乗り全員で出かけたときなんて、なおさら。
あの頃は思春期真っ只中だったはずなのによく喋る愉しい次男と、
次男の背後で車のスピードに合わせて流れる車窓の景色に目を奪われながら、
「この狭い空間で、こうしてみんなと一緒のまま、時が止まってくれたらいいのに」
「来年も再来年も、できればずっとずっとこうしてみんなと一緒にいられますように」と願うのでした。
きっと、その誰もが病に伏したときに感じるであろう孤独という感情は、
私にとっては必要なものであったとも思います。
そばにいつもあるたくさんの幸せに、
気付くことができたから。
いつもこうして家族がいてくれました。
実際には、ぜんぜん孤独なんかじゃなかったのかもしれません。
私の場合は、闘う体制や環境が整えられていたから、
無事にこれまでクリアしてこれているのだと思います。
家族に支えてもらって、今があります。
元気でいることが恩返しだと思っています。