子離れしなくちゃ・・・と感じた瞬間(次男編)ヒッチハイクの思い出
まとわりつかれているうちが華?
近所の友達の家に行っていた小4の三男が、
雪が降りしきる中ものすごい勢いで帰ってきました。
そして突然、何を言い出すかと思ったら、
「〇〇(三男の名前)、オカンもし死んだら生きる気力なくなるけど、でも〇〇、オカンの分も頑張って生きるわー」
そう言って、冷たい手でペタペタまとわりついてきました。
悲しい妄想をしながらも前向きな意思表示(笑)
・・・全く小学生男子って何を考えてるのか。
外を歩きながらも常にいろんなことを考えているのでしょう・・・
オモシロイ( *´艸`)
次男が小学生の時もこんな感じだったな~と思い出し、懐かしくなりました。
オカン大好きオーラ全開 だった次男。
大学進学で離れて暮らすようになってから早3年が経とうとしています。
野球少年団時代の次男
超怖がりだった次男がひとりでヒッチハイクで北海道より日本縦断?
小さい頃から、おっきくなっても独り暮らしはしない!怖いから!と。
高校生くらいになっても、暗いところは嫌だ!怖いから!と。
そんな次男が大学進学で家を出て、学生生活をエンジョイしている様子にホッとしていました。
そして大学2年になり突然、今しか出来ないからひとりでヒッチハイクの旅に出ようと思うと連絡がきました。
はじめは大阪を目指すとのことでしたが、最終的には鹿児島県まで進み、種子島、屋久島まで行ったのでした。
計30台の車に乗せていただき、55人の方々との出会いがあったようです。
他にも現地で出会った方々に様々な親切をもらい、感謝しかなかったそうです。
スタートは札幌。雨。私が高速道路の入り口で降ろし見送ったのでした。
出発前は親子でバチバチもアリ
可愛い子には旅させよだし、
「そうかそうか、楽しんでおいで」と快く送り出すつもりではいたのですが、やはり出発が近づくにつれ心配で・・・
いくらもう体も大きくなった男とはいえ、
途中大きな事故に遭ったら、何かトラブルに巻き込まれたら。。
旅はこれからというのに、あれは大丈夫かこれは大丈夫かと、私はよほどうるさかったのでしょう、、、
まだ準備時期でのやりとりの中で、
電話で次男にこう言われました。
「は?・・どんだけ過保護?」
次男はものすごい冷たい口調で、そう静かに私に言い放ちました。
これまで反抗期らしい反抗期がなく、
クソババア死ねあっち行けなど言われたことなどもなく、
なので悔しいけどアッサリ簡単にグサッときて、
でも、心配してるのに!とメラメラ腹も立ち、
心中穏やかではありませんでした(-_-メ)
実際、福岡では警戒レベル5の大雨特別警報が発令された時とぶつかり、
しかも連絡が取れなくなり、
どこかで流されたんじゃないかと生きた心地がしなかったこともありました。
(カプセルホテルで爆睡して着信に気付かなかっただけというオチ)
そして無事にヒッチハイクを終え日常に戻り数カ月後、
次男から届いた郵便物の中に、関係のない封筒も1枚同梱されていました。
その中には次男の通う大学の学生スタッフが発信する学園情報誌が。。
ふうん、こんなのあるんだ~とペラペラめくっていたら、
《体験が、私をつくる》という特集記事で、大学の道内5つのキャンパスから1人づつが登場しインタビューを受けてる内容が掲載されていました。
そこで、見覚えのある顔が(笑)
次男が通うキャンパスからは、ヒッチハイクを経験した次男が登場していました。
旅の様子の写真はLINEで届いていたので見ていましたが、詳しいことは本人からは聞いてませんでした。
そこには、
【人との出会いだけじゃない多くの人生に出会えた旅】という独自のフレーズにのせて充実した旅を語る様子が載っていました。
ただの無謀な旅ではなく、それなりの心構えや心掛けの上で挑み、
そこで実際旅のルートで自分自身で経験した様々なこと。
折れない心を養うことが出来た、旅を通し自分の中で変化したことなど、いかに大きな財産となったか、などなど。。
それらをじーっくり読んで、
私はずっと胸につかえていたものがストンと落ちたのでした。
次男に対する母としてのこれまでの心配のかたまりが、ストン、と。。。
なんだ~
苦労も楽しみも、失敗も成功も、もう全て自分が考えて決めて自分でやってみて、
そうか、それで大丈夫なんだね~
離れて暮らすようになってもずっと私の心が子供にまとわりついていただけだったようです。。
オカンオカンとまとわりついていた子供は、
もうとーっっっくに離れていたのに。
気づけばサクッと親離れ。。難しいのは子離れのほう
次男は今、
就職先についていろいろ悩んでいる様子・・・
目指したい先がここにきて定まらなくなったり、
思う通りに勉強がなかなか進まなかったり、
モヤモヤしているらしい・・・(-_-;)
どうしてるかな~元気にしてるなかな~
そんな思いで常に案じながらも、
でも最近はさすがに私も学習し、
本人がやりたいようにやるのを黙って見守るしかないと、過保護路線からは脱出しています。
ていうか、そんなに過保護だったかな~
もうっ
親の心 子知らず!!(心の叫び)
そういえばと、
こちら引っ張り出してきました。
20年前くらいに初めて買った子育て本より
「子供のこととなるとまるで我がことのように一喜一憂してしまう、それが親というもの。でも子供と親は別の人格。くれぐれもそれを忘れてはいけません。」
「人間の魂は12~15才くらいまでに成長して自分で自由に動けるようになります。それまでたっぷり愛情を注いで自分の足で歩めるようになる基盤をつくってあげることが親の役目です。それができたら子育てはひとまず終わり。」
「魂のうえでの子育てはそこまで。あとは温かく見送りつつ経済的スポンサーに徹する。親には親の人生があり、子供には子供の人生がある。たましいの子育てが終わったら、上手な子離れが必要です。」
寂しいことも順調な成長、
信じてあげる心を忘れず、
程々の距離感も大事に、
そうですね \(-ω-)/
とりあえずは、これからも夫と一緒に息子たちの1番の応援団でいようと思います。
そのためにも、1に健康2に健康、
まだまだこれからの三男もいるし、
丁寧に上手に暮らし、生計も保っていかねば(汗)です。
※乳がんになってからのことや家族のこれまでのことなど綴っています