言霊。。ばあちゃんからの愛と手帳に走り書きしていた10の言葉
言霊(ことだま)の意味としてはいろいろ表現があるようですが、
言霊とは言葉の持つ力を示したものであり、
言葉が魂をもち、その言葉をきっかけに影響が与えられること
私はそのように解釈しています。
まずは、メインのばぁちゃんの話の前に記しておきたいことがあります。
・・・当時の自分に向けてだったのか、
ただ書き留めておかなければと思ったのか・・
引き出しにしまってある私の〈1999年〉の手帳の中には、
何かを読んで、その都度、抜粋したような、
以下の言葉が箇条書きで残っています。
当時の私はまだ20代で、初めての育児に追われながら二人目を妊娠中。
その後、幸せで充実した日々の絶頂期に夫との突然の別れ(死別)があったり、
それなりに、それなりの、まぁいろいろなことがありました。
けれど何かが起こっている真っ最中というのは実際は何か言葉なんて入ってくるものではなく、
目の前の現実だけが全てで。
必死にやることをやるしかなく。
でもその手帳に残していた言葉は、
常に頭の片隅でそっと生きていた言葉でした。
今日はそれらを引き出しから出し、ここにも残しておこうと思います。
以下の10の言葉です。
「他人と過去は変えられぬ。自分と未来は変えられる」
「努力もしないで、本当の幸せはこないものだよ」
「今がどん底なら、これ以上の苦しみはもうないんだ。下はないのだから上を見て生きなさい。苦ありて楽あり」
「子供が大人にしてくれる」
「いくつもの不幸を数えるより、ひとつの幸福に感謝しなさい」
「夜明け前が1番暗い」
「自分に、負けるな!」
「この人なら乗り越えられると思う人にしか、神様は試練は与えない。だから絶対あなたなら乗り越えられる」
「今の君の苦しみは、人生という分厚い辞書の中ではちっちゃな点のようなもの。必ずまた笑う日はやってくる」
「あなたはお母さんになるのだから、強く生きてください」
ばぁちゃんからのハンッパない愛が言霊として
私はとある田舎町の商売屋の娘に生まれ、弟と祖母や叔母に囲まれ育ちました。
5才のとき両親が離婚するという騒ぎなんかもありましたが、
私はそのまま父親の元に残り、ばぁちゃんとも高校を卒業し就職するのに家を出るまでの18年間を共に過ごしました。
ばぁちゃんは働き者で、優しくて、いつも笑顔で明るくて。
のちに父が再婚し、世間からは複雑と思われるような家庭環境にありながら実際は新しい母もみんなで一緒にワイワイと、
愛情あふれる家庭で育ちました。
ばぁちゃんと両親からの無償の愛をたっぷり受けて今の自分があると思っています。
そして、私の夢というのはやはり普通に結婚して家庭に入り、
子供を持ち、夫婦で何があっても力を合わせ、仲良く穏やかに暮らすことでした。
実際、そのように思い描いた通りの幸せを噛みしめ安心して過ごしていたとき、試練はやってきました。
体調が優れずに病院に行った夫がすでに末期の癌とわかり、
そのまま退院もできず1ヶ月半の闘病で36才で他界したのでした。
6才と3才の息子達と31才の私、
その後は太陽となったお父さんに照らされながら3人で空を見上げて過ごしていました。
のちに私は今の夫と出会い、まさかの、
二度も結婚するという経験をしたのでした。
そんな私の将来を、知ってか知らずか、
いえ、ばぁちゃんは知る由もないのですが。。。
ばぁちゃんは誰よりも孫娘の私の幸せを願っていました。
私が生まれてからずっと、毎年3月3日の桃の節句でお雛様を飾ったあとはソレ急げ!と一目散に片付け始めるのでした。
『雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる』という言い伝えがあるからでしょう。
そして必ず、ばぁちゃんは雛飾りのケースを段ボール箱にしまう時、
ばぁちゃん直々に書いたこのメッセージをケースの上にそっと置き、
「どうかどうか・・・」と思いを込めながら片付けるのでした。
これは、一昨年96才で亡くなったばぁちゃんが残してくれた大切なメモ。
まさに、この言葉どおり、
これはしっかり言霊として、
ばぁちゃんの願いは届きました。
何故なら、ばぁちゃんの言う『世界中で一番良い人』
私は、ふたりの優しい夫に恵まれたから。
ばぁちゃんのこのメッセージは魂をもち、私を守ってくれました。
そして今もばぁちゃんは、私たちを見守ってくれていることでしょう。
「家族を大事にしなさいよ~」
今でもそんなばぁちゃんの声が聞こえてくるようです。
会いたいな~