乳がんになって目が覚めた

乳がんになって目が覚めた

これまでの治療時の記録、また、当たり前に朝が来て過ごせている感謝の日々、そこから残していきたいことなども書いていきます。

中学1年生だった長男の作文に書かれていたこと / 地元新聞に採用された投稿文~その3 

今から11年前の2009年に、長男のことについて「学年便り」というタイトルで地元の新聞に投稿したことがありました。

実はそれが私にとって初めて新聞に採用された投稿文でした。

 乳がんを患ったあと新聞に掲載された記事のことについては、既にこのブログに2つあげています。

 がんになってから地元の新聞に投稿し採用された時のこと /その1 -

 地元の新聞に投稿し採用された時のこと (術後5年目)/その2 -

そして今日、私がこのブログに残したいのは、

その中1の長男のことを投稿し初めて採用されたときのものです。

新聞に投稿をするなんて初めてでしたが、

しかも自分の息子のネタ (-_-;)

でも、その時はそうしたい衝動にかられたのでした。

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まずは書いたものを当時は家のFAXで新聞社宛に送ってみました。

その、女性だけが投稿できるというコーナーの記事は昔からよく知っていて、

よく読んでいたりもしていましたが、

狭き門と以前から聞いていたので採用される自信はありませんでした。

でもその翌日に、新聞社の担当の方から「ぜひ採用したい」と電話をもらい、

今度はいざそうなると氏名年齢が載ってしまうコーナーなので一瞬緊張しました。

母子家庭だった私たち親子は、そのときは今の夫との結婚で新しく踏み出していて、

遠くからそっと見守ってくれている知人友人が各地にいました。

購読している家庭も比較的多い新聞なので、

これは「元気で暮らしています」と読んだ方へのお知らせにもなるかな~とも思いました。

 

何より、そのときの息子のことを私自身が書いて残したかったという思いが1番ですが。。

 

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長男は現在、もうすぐ24才、仕事に就いて独立しています。

子供の手が離れるなんてものすごい先だと思っていたのに、

こうして子供が年頃の時期を迎え、

自分の好きなことを好きなようにしていくようになってからは本当にアッというまでした。

 

長男の小学校入学と次男の幼稚園入学が重なった2003年、

子供たちの成長を楽しみにしていた夫は、

その春がん闘病で最期まで気丈に頑張り抜いた末に旅立ちました。

とにかく子供達をちゃんと育てないと、おっきくしないと、そうして天国のお父さんを安心させてあげないと、

でもその思いはただ強いばかりで空回ることもありました。

とにかく子供優先で、みんなで一緒にドタバタと暮らしてきました。

長男は、いつもどこか抜けてて、

お馬鹿チンで、私に怒鳴られてばかりで、

でも人一倍努力家、そして我慢強く優しい子で

目標を持ち、高校、専門学校、そして消防学校での訓練を経て念願の消防士に。

仕事うまくやっているかな~

ケガや事故、病気、大丈夫かな~

結婚できるかな~ どんなお父さんになるのかな~

期待も心配も親である限り今後も尽きないのだろうと思いますが、

まずは自分の足で生きていくことができるまで大きくなってくれたことに感謝し、

ホッとしています。

小さい頃じじの所に遊びに行くと町の消防署によく連れて行ってもらっていたよ

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下に2才半ほど離れた弟が生まれてからは、

普通に「お兄ちゃんなんだから扱い」でした。

のちに更に14も離れた弟も生まれ。。

あんまり甘えさせてあげないまま、気づいたら、もう大人。

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今は、たまにここに帰ってくると「腹減った~風呂ゆっくり入りたい~実家はいいな~」と無邪気にそう言う長男を思わずめんこくて抱きしめたくなります。

でも、今じゃでっかいムキムキのキン肉マン。。

 

まだまだ手の中に入る三男を、

今のうちにたくさんギュウッとしておかなきゃと改めて思うのでした。。

 

 

 

長男が高3のとき私の乳がんが発覚したときの記事はこちら