アラフィフ夫婦と大学生の息子で観て感動した映画
保育園児だった次男が教えてくれた花の名前
春休みで大学生の次男が帰省していた先週末、
札幌は雪も溶けてすっかり春めいて、
庭のチューリップやムスカリがピョコッと芽を出していました。
一軒家に住むようになってからは、庭に花を植えて楽しんでいます。
私が「ムスカリ」という春先に青や紫の花をつける花の名前を知ったのは、
忘れもしない、17年前でした。
「ムスカリ」という名前を教えてくれたのは、
当時 保育園の年中児だった次男です。
ある日、道端に咲くこの花を指差し、
次男が私に言いました。
「おかあさん、この花ね、ムスカリっていうんだよ」
「そうなんだー知らなかったー」
「せんせいがね、言ってたよ😊」
次男は私立幼稚園の年少に入園したのですが、
入園してすぐの5月に夫が僅かな期間の闘病の末に急逝。。
専業主婦だった私はその後仕事を始めることになったため、次男は年中さんになるタイミングで保育園に移りました。
朝の7時半から暗くなるまで預けることになり不安でしたが、
保育園の先生方は皆さん優しく温かく、
次男にいろんな事を経験させてくれて、
見守ってくれて、楽しませてくれて、
当時とても助けられました。
映画「きっと、うまくいく」
先週は次男も帰省していたので一緒に夕食後リビングで映画を観ました。
今回は、Amazonプライムビデオでレビューも高い、
観たブロガーさんも皆さん高評価、
気になりつつ観ていなかったこの作品、
「きっと、うまくいく」
正直、あらすじをサラーッと見る分には魅力を感じずにいましたが、
いよいよ観た、観終えた今、
まだ観てない人はぜひ観て!
もう絶対に間違いないから!
興奮してオススメしたい映画となりました。
主人公たちのエリート工科大学での大学生活と10年後の彼らの再会が交互に紹介されていく流れの、2時間51分という長い長いインド映画。
私も旦那もグイグイ惹き込まれましたが、
次男も最後までとても楽しそうに観ていました。
現役大学生ということもあり、
特に胸に響く内容だったのではと思います。
元気になれる映画です。
インド映画をこれまで観たことがなかったのですが、
インド映画は9つの感情が盛り込まれていることが必要と言われているそうです。
恋愛・笑い・悲しみ・ 怒り・勇敢・恐怖・嫌悪・驚き・平穏
まさにこの映画も、9つ全ての感情が含まれたものになっています。
ちなみにインドが出てくる映画といえば、
タイトル通り、迷子の子供が将来お母さんに会えたという単純な内容かと思っていました。
これも気になりつつ、観ていませんでしたが、
こんなに深く素晴らしい作品だとは。。
でも、旦那は辛すぎるからもう観ないと言います。
私は1人でその後もう一度観ましたが、また観たい。。
30代のインドの男性が、このような経験を実際にしているという事実に考えさせられることがいっぱいありました。
人のつながり、、、展開が見逃せません。
大学生になった男性がGoogle earthを使って故郷を探すことも興味深いですが、
何より最後の、兄弟愛、
私はそこで号泣でした。
おっきくなったね、次男と甥っ子😭
今回は次男の帰省にあわせて、札幌市内の大学に通う甥っ子も呼びました。
オカンは張り切ってリクエストのスープカレーを作り、大学生たちにたっぷり食べさせました🎵
※レシピはこちら
甥っ子は神奈川県に住んでいるお義姉さんの次男クン、現在はこちらでひとり暮らしをしています。
生まれ月が約1ヶ月しか違わないイトコどうし。
ついこの間、生まれたばかりと思っていた二人が、もうすぐ大学4年生💦
赤ちゃんの頃はデブの次男のほうが大きかったけれど、今は甥っ子のほうがデカイ!
次男も178センチで決して小さくはないけれど、甥っ子は身長もあるし体も鍛えていているのでガタイ良すぎ(=゚ω゚)ノ
大学院に進む方向で頑張っている甥っ子に、
将来的には神奈川に戻るのかこちらで就職したいのか、なにげなく聞いてみました。
すると、こんな答えが。。
「 いや、特に。。
どっちでもいいなーと思っています。
っていうかボクは大学こっち来て、
ホント良かったんですよ!
良かったなって思ってるんですよ!
もう、親ってありがたいなって。
すごくそう思うようになって。
感謝しかないな、って。
だから親元離れてすっげー良かったな
って、思うんですよ」
きっと面と向かって親には言わない、
飾り気のない正直な思いが、
つい素直にポロッと出てきたんだね。
北海道のおばちゃんは、その返しに感動したよ。。
あの当時、夫の葬儀の場でチョロチョロ走り回っていた小さな二人でした。
気づけばこんなにおっきくなって、
それぞれにしっかり考えを持ちながら、
まったく・・・
逞しくなったもんだね!
めんこいなぁー。
なんだか、こちらもお腹いっぱいの時間でした。
ありがとう💕
※次男のエピソード
※2014年に乳がんになったときのこと
整えて、痩せて、取り戻す作戦を実行中
・・・といっても勿論まだ痩せ効果は出ていませんが(汗)
微妙に体の調子が整い出してきたので、
今やっていることを書き残したいと思います✨
しばらく何だか中途半端にモヤモヤしていて、
ひたすらおとなしく流れに身を任せユルユルして過ごすことを心掛けていました。
そうする状況に甘えてるうち、
心にちょっと余裕 がうまれ、
ふと見つめなおし動き出しました。
体が重いのと気分の重さによる悪循環・・
やはり無理のない程度でも、
運動はそれなりにしないとマズイぞ( ̄▽ ̄)
と思い始めたのです。
乳がんが発覚したのが7年前の6月、
また、その後の 治癒や再発防止に向け過ごしてきた期間。
これまでの人生を見直し、生き方を変えようと。
生活全般を見直し、体に良いことは取り入れようと。
まあ、考えてやってきたわけですが(-_-;)
実際、最近の生活習慣を振り返るとやっぱりどうだろう。。
様々な症状は、決して加齢によるばかりじゃないなと(-_-メ)
つらっと初心に帰り、
食事と並行して運動して体を温め、
深呼吸や音楽などでリラックスして、
副交感神経を優位にしながら、
免疫力をあげていきたいという意欲が、
じわり、じわり、、、
楽しくいきたいという欲が、
じわり、じわり、、、
運動を積極的に取り入れる
そこで、数あるYouTube動画の中から「コレは良さそう! ビビビ☆彡」ときたものを幾つかピックアップ。
体を動かすのは1時間を目安に、
その日の調子でチョイスして行うことに決めました。
最後は短時間で汗がドッと出るダンスwをするので、
その後には入浴&スキンケア(といっても荒れた肌に処方された皮膚科の薬を塗るだけですがw)
そうした時間を30分と考えます。
髪の毛は常にいつも通り自然乾燥で終了。
というわけで 1日のうちで1時間半、
毎日「自分を動かす」時間にしました。
今お気に入りのヨガの動画はこちらです。
はじめてのヨガ
ヨガの良さというのはよく耳にするし目にします。
「疲れや不安やストレスを感じている時、自分の意識を一番に優先することを忘れてしまう。執着を手放していくためヨガを取り入れ今この一瞬を生きることに心を尽くす」
うーん、でも、理屈では分かるけれど、
そんな時こそ執着を手放すというのは難しいし、
身体を動かしてそうするとかよく分かんない~というのが正直これまでの印象でした。
でも丁寧に配信されている動画がたくさんあることを知り(今さらかい💦)
どれどれ、思い切って1人でコソコソやってみようかなと。
【体が超硬い初心者に15分YOGA】骨盤とお尻の緊張をほぐすヨガPelvis reset yoga
きっと私の場合は、今、だったんですね。
ヨガを取り入れるタイミングが。
心の声や体の声を聴くことが大切といいますが、
この歳になり初めてヨガによって自分の体を労わって優しくできているイメージを実感できています。
ゆっくり大きく呼吸をしながら、
身体をのばしたり、動かすということの、
なんと気持ちの良いこと(*´ω`)
ヨガを寝る前にも取り入れてみたら、
入眠もスムーズに(*´ω`)
寝る前のヨガ
ようし寝るぞ!という前に、
何か動きを施すということ自体が面倒だと思っていましたが、
面倒に考えることはありませんでした。
寝る直前に、
いつもの寝室の暗さにし、
ベッドの上でスマホを置いて、
ポチっと再生、
そして目を閉じ、
ひたすら動画の音声を聴きながら、
【魔法の寝落ちヨガ 安眠編】 心も体もホロホロにほぐれて夢の世界へ #416
そのとおりに、言われるがままに。
ひたすら体をマットへ沈めていく感覚
それとともに気持ちが鎮まっていく感覚
動画が終わったら、布団にそのまま入る。
フゥ~~っとなったまま枕にいつも通り頭を乗せ、
目をつぶると、あらまぁ。。
ものの数分で落ちているのです🌙
翌朝は起床後ダルさもなく軽快に動けるように。
ほぐしてから寝るということは、
スッキリ起きれることにつながる。
もっと早くに知るんだった(=゚ω゚)ノ
いや、そうらしいというのは知ってはいたから、
実行してみるのが遅かっただけか。。。
ヨガと組み合わせて行っている運動のことについては、
また次の投稿記事で記録したいと思います。
死にざまは、生きざま
1週間前の今日は、
前回のブログ記事の下書きをしていて、
翌14日の日曜の午前に投稿をしました。
そして息子の誕生日だったその日の午後、
プレゼントなどの買い物に出ていた時に、
遠方に住む友人から、
「早朝に夫が亡くなった」とメールが届きました。
ご主人が倒れ、当たり前の日常が突然断たれた彼女の気持ちを、
自分なりに理解し応援していたつもりでいました。
けれど、
闘病が始まって以来ご主人の気持ちに1番に寄り添い
静かに状況と向き合い、
自分と闘っていた彼女から、
逆にたくさんのこと気付かせてもらい
私自身ここにきて大切なことを学ばせてもらったのでした。
死にざまは、生きざま。
《その人の死に様は生き様をあらわす》
まさにそれは残された者への生きる力ともなるのだと思います。
今、ご主人への想いを胸に、
妻として母としてまた前へ向かい始めた友人にエールを送りつつ、
あらためて心よりご冥福を祈ります。
これからもずっと、
大好きな奥さんを抱きしめていて欲しいです。
息子さん達を、空から守っていてくださいね。
今日は札幌、晴れて太陽が出ていました。
今朝、夜行バスで春休み中の次男が到着。
大喜びの三男 (*‘ω‘ *)
明日は仕事が休みの長男も来ます。。
家族が健康で、みんなが揃うことができる。
感謝して、大切に過ごしたいと思います。
国語ワークブック可笑しい語録Part.2/ 変わらない日常に感謝
元気になっても元気を貯金しましょう
ゆっくり使いながらいきましょう
明確な何かがなくても、
こんな時もそんな時もあるOKOK!
お互いに体を休めながらいきましょう
・・・前回の投稿にいただいたコメントより。
訪問してくださった沢山の方々、
どうもありがとうございました。
お陰様で ゆるゆるやっておりました(*´ω`)
パン屋さんからの帰り道、
三男の向こうの空に「ひこうき雲」が見えました。
青空に映えすぎっ!! 綺麗で思わずカシャッ
小さな点のような飛行機が、ツーーっと前進していく。。
♪ 空に 憧れて 空を かけてゆく ♪
土曜日は、雪が溶けアスファルトもだいぶ見えていてお散歩日和でした。
「給食の揚げパンが美味しいから食べたい」
前夜に突然三男がそう話していたことを思い出し、
普段なら車で行っちゃう距離のパン屋さんへ、その日は歩いて行ってきました。
三男は去年マスターしたブレイブボードに乗り、
私は片道30分の程よいウォーキング。
パン屋「どんぐり」の大きい看板が見えてきました。
息子はきなこの揚げパンとネバネバサラダ。
私はチーズケーキとブレンドコーヒー。
朝からお昼まで半日出勤している旦那にもお土産のパンを買い、
大きな売り場横の大きなイートインでブランチ。
こういうの久々。なんだか贅沢🎵
たまにはいいね🎵
長男が使っていた部屋を三男が引き継ぐ
・・・といっても、実は以前から三男の部屋になっていたのでした。
自分の部屋が欲しいと言い出したので、
長男が使っていた部屋を三男仕様にしたのですが、
1週間で「やっぱりオカンたちのところで寝るわ」と戻ってきたのでした(まだまだコドモ)
けれど、来月からは小学5年生。
もうひとりで寝なくちゃ、いや、ひとりで寝たいと思ったのか、
最近また自分の部屋で寝ると言い出しました。
ベッド以外はイイだけ散らかっていたので、
ある日スイッチが入った私はコドモ部屋の大掃除に取り掛かったのでした。
おお、、5.5畳の子供部屋が生まれ変わった✨
ちなみに壁際にあるのは長男の自転車。
今は行き場がなくオブジェになってる(笑)
三男は大好きな兄ちゃんが使ったベッド、兄ちゃんが使った自転車があるという空間が嬉しいようで、今はこれでよいみたいです。
ちなみに日本最北端の地を目指してが自転車で北海道を旅したときに使ったもの。
こちらの投稿で書いたやつです ⇓⇓
国語ワークブックを開き、また笑う
そこで、机の上に散らかる4年生で使ったノートやプリント類を整理していたら、出てきました。
以前に投稿した、またあの「漢字かんぺきくん」が出てきました(笑)
あのときブログに残しておこうといくつか記録しましたが、、、
こちらの投稿になります ⇓⇓
では、新漢字を1文字使って作っていた息子のオモシロ例文 新発掘分を、
更にブログに保存しておきたいと思います。
まずは、こちら。。。
これらはどれも無難。小学生らしい。
約束をやぶらない方がいいです(笑)
ハイそこ大事 ◎
そして以下がちょっと4年生らしくない
というか、素直というか、
想像力がオモシロイというか、
では可笑しいシリーズ、いきます。
な、なぜにマトリョーシカ( ̄▽ ̄)
ちなみに「粛」は、辞書で調べたそうな。
そこまでしてその部分を足したかったんかいw
!!!! トランプ派だったの??
佐賀県に親戚、誰もいませんけど(=゚ω゚)
書棚に「佐賀のがばいばあちゃん」の本があるのを見かけのかな
いや北海道からボートで無理だから( ̄▽ ̄)
・・・・どっちもオモシロイ(笑)
これがオカン的に1番の衝撃 💦💦
計算で成り立つってどーゆーこと(泣笑)
今日 3月14日は10才の誕生日🎉
年齢とともに、環境とともに、
体調に変化があったり、
そんな様々なことはありますが、
当たり前に日常がこうしてあることに改めて感謝です。
会話できる家族がいて、
家があるから掃除もできて、
遠くで頑張る家族がいるから頑張れて。
こちらは長男のデスクシートに挟まったままのプレート。
裏が年間カレンダーになっていて、2010年のもの。
長男が中2の頃からずっとあったようです。
三男もこれを見て、何か感じるときが来るのかな~
10才のお誕生日おめでとう!!
息子よ、これからも自分らしくガンバレ
さ、私もまた今日からゆっくり進もう~
これは更年期障害?鬱?‥流れに任せてみることにする
いまいち体調が優れない
最近どうも疲れやすい、眠りも浅い、頻尿、、
特にこの数日は朝スッキリ起きれず、
頭、首、とにかく体が重ダルい、、
更に、特に何かあったわけでもないのに、
気分も重く、何もしたくない、、
いろいろやりたいこと、やらなくてはならないことがあるのにやる気が起きない、気ばかり焦る、、、
今まで意識したことはありませんでしたが、
次の誕生日が来たら50になるし・・・
もしや・・・これはあの女性ホルモンの急激な低下によるっていうアレでは・・・
31のとき、癌闘病をした夫を看取ったあと、長男と次男と3人だけでの生活が始まりましたが、
実は夫を失い1年経過した頃から体調がガタガタ崩れ始め、
鬱病との診断を受けたことがありました。
今となって思えば、全てがキャパ超えで踏ん張っていた、頑張り過ぎていたと自分に言ってあげられますが、
当時はそうなった自分を弱いと責めました。
当時、鬱病の知識がなかったので軽く「眠れるお薬をください」程度の気持ちで受診しました。
まずは睡眠をちゃんと取れたら心身に表れている不調の全てが解決すると思ったのです。
でも心療内科の医師に「あなたは鬱病ですよ」と言われ、驚きました。
当時実家の母にそのことを伝えたら、
「先生が診断してくれてよかった。おねえちゃん(私のこと)、これでちゃんともう休むでしょ」と母が安心して言っていたことを覚えています。
初診時には以下のようなことを言われました。
「あなたは今、ただただ子熊を必死に守る親熊なんですよ。でも今あなたは闘うときでも頑張るときでもない。今はそういう体調ではありません。今あなた立っているだけで精一杯でしょ?横になって下さい。仕事も辞めてくださいね。今は川の流れに乗って身を任せていればいいんです。子供さん達と寝て起きてご飯食べて、そういう最低限の生きていくことだけをしていく、今はそれでいいんですよ。そうやって泣きたいときには泣きなさい。それでいいんです。悲しみを受け止めきれてないまま突っ走ってきたんです。時間が必要です」
熊のような大柄で、
ゆっくり話すボス熊先生の前で、
子供のように泣いたのを覚えています。
乳がんのホルモン療法も影響しているのかな
そんなこんなで過去に通常の生活を送ることができつつも抗うつ薬や睡眠薬がないと眠れない生活が何年も続いた経験があり、
今回の絶不調はその時の鬱々とした気持ちと似た感じもありました。
鬱病のヘロヘロも経験したし、
抗がん剤治療の副作用のヘロヘロも経験したし、
たぶん自分は更年期障害なんてものがきても 屁でもないし気づかないかも(*ノωノ)くらいに思っていました。
まぁ隙をつかれたか・・と思い、
調子良い時間にネットをサクサク。。
すると更年期指数をチェックできるサイトがあったので自己診断をしてみたところ、以下のような結果でした。
低い!大した事ないのだなと思いました (^o^)
私は乳がんの治療で、現在もホルモン療法として女性ホルモンを抑えるタモキシフェンを服用していて、生理はほぼ止まっています。
むしろそれは快適で、他にもタモキシフェンの副作用には更年期障害に似た症状がみられるようですが私はこれまで全く出たことがありませんでした。
なので、手術⇒抗がん剤⇒放射線治療までのフルコースがひととおり終了したあとは、
ホルモン治療の副作用に苦しむことはなく心身が健康的に過ごせていました。
ちなみに鬱の服薬生活との決別は、
三男の妊娠・出産がきっかけでした。
それっきり鬱病のリバウンドはありません。
最近の不調を旦那に漏らすと、
「そんな日もある、気にしないでゆっくりしてな~。なんも無理しないでいいから」と言います。
更年期の症状だとしても一時的なものと考え、
そんな日もある(-_-メ)
時期がくればおさまる(-_-メ)
旦那が言ってくれるように、
そうやって思い切って休めばいいと思うようにしようと思います。
その環境に今あることに、
感謝しながら。。。
今日で東日本大震災から10年。
大切な家族を失ったり、離れ離れになったり、
被災された方々の乗り越えるものや乗り越えてきたことの大きさを想像しては、
言い知れない喪失感と向き合ったことに胸が痛みます。
被災地の皆さんの心の幸せと平穏を、祈りたいと思います。
ちなみに10年前、私は震災があった日の3日後の3月14日に三男を産みました。
これからも息子の歳を数えながら、
あのとき被災地で起きたことを胸に留め、
影響を受けて頑張ってこられた多くの方々、
そのひとつひとつの家庭に、
あたたかい時間が流れることを願い続けます。
トミカ大好き(^o^)ミニカー大好き息子が新車に乗ってやってきた!
子供の頃、トミカにハマっていた長男。
長男は、専門学校で救急救命士の資格をとったあと念願の消防士の職に就き3年になります。
三人兄弟の中で唯一、トミカが大好きでした。
小さな車を小さな手で持ちぶぅんぶぅん言いながら黙々と走らせて遊ぶのが大好きで、
救急車も消防車も、たーっくさんありました。
当時の狭いアパートはトミカワールドシリーズのオモチャでいっぱいでした!!
懐かしいなーー
そうそう、そういえばトミカ博にも行きましたね
長男、いよいよ車を買う
そしてこのたび欲しかった デリカD :5を、
長男いよいよ自分でマイカーローンを初めて組み購入したのです。
私からしたら「デカーッ!」「いかつーい!」「こわーい!」という印象ですが、
長男にとっては荷物がたくさん積める、更に 見た目がカッコイイ、
他にも魅力的要素満載 なのだそう。。
まあ、そんなイイ車、買えるのも独身のうちでしょう。
ローンの支払い、頑張ってください \(-ω-)/
早速、友人やら職場の仲間やらデートやら、
山はもちろん冬キャンプなど、
快適運転で出歩けるのが楽しくて仕方がない様子。
オカンはひたすら、事故起こすな、巻き込まれるな、死ぬな、と心配のみ。
でも去年から友人と楽しみ始めた冬キャンプ
私は寒いのイヤだから絶対に無理💦 ナンデわざわざ冬に外でキャンプ??と思うのですが、
息子のインスタで様子を見るぶんにおいては、
うあぁ星空キレイ(*´▽`*)
うわぁーうまそーー(*´▽`*)
冬キャンプを密かにいつも楽しんでいます。
とにかく北海道の道路は広いためか油断して運転する人が多い、しかもマナー悪い人が多い、交通事故も多いです。
十分に安全運転を徹底して欲しい
(これだけは顔見るたび口うるさく言う)
なんだかんだ心配してもキリがないので、
とりあえず日々しっかり仕事して、
健康管理もきちんとして、
余暇を満喫し楽めるよう応援していますよ、
ガンバレ長男坊!!
そういえば以前、自転車で北海道を...
学生時代、日本最北端の地をめがけ自転車でひとり旅をしたことがありました。
自転車で旅をする!・・それは長男が学生のうちにやってみたいことの一つでした。
バイトでお金を貯め、一眼レフカメラとテント、
その他最小限の荷物を自転車にくくりつけ、札幌の自宅をスタートしました。
確か風景写真をたくさん撮っていたなぁ・・
そこで早速「オカンのブログに載せたいんだけど、チャリ旅の写真送って」とLINEを入れてみたところ、
無言でダダダダーッと写真が送信されてきました。
載せていいのね、了解 (笑)
上の風力発電を望む写真は オロロンラインを北上、小平町を過ぎたあたりらしいです。
オロロンラインとは、小樽から稚内までの約380㎞の海岸を走る道。
道そのもの全てが観光スポットともいっても過言ではない絶景だったようです。
そして、
目的地の稚内へ到着✨
稚内のあとは、猿払村の夕日、
そしてエサヌカ線、
地平線の彼方まで伸びる直線、、、
富良野や美瑛 もシッカリ堪能
若いっていいな~
そんな気持ちで見送ったのを覚えています。
そして、こんなんなって無事 帰ってきました。
こ、焦げてますけど・・・( ;∀;)
思い返せば、こんなに小さくてオカンの手の中にいたのに、めっちゃビビリだったのに、
今じゃ一緒に酒も飲めるようになり・・・
早いなぁ~~
完全な昭和の親で、いや単に初めての育児で余裕がなく、容赦なくすぐに手は飛んだし。。
ダメなことはダメ、でも『言い聞かせる』より感情のままにひたすら怒りまくることのほうが多かった。。
『褒めて育てる』というよりダメ出しばっかり。
長男、打たれ強いのはそのせい?! そのお陰?!
・・なんて都合よく考えたいけれども、
長男の場合はやっぱりいろんなことを見てきたからかな。。
小学校入学して間もなく大好きだったお父さんとの死別を経験したり、
第二の人生を歩くと決めた私にも黙ってついてきてくれたり、
しまいに私も癌になったり心配も協力も沢山させてきちゃいました。
でも気づけばいつも 自分で何でも考えて、決めて、
行動するようになっていたね。
失敗もたくさんするし、
抜けてるところもたっくさんあるけど、
常に前向きな長男。
ひたむきに打ち込んだ野球部時代も恩師には心身を鍛えてもらい成長できたよね。
学生時代も今もそうやって自らも沢山のことを見て学ぶ姿、楽しむ姿、
実はうれしいなって気持ちでオカン、見ています。
子育てしてきました(=゚ω゚)ノなんて,
胸を張ってはワタシはやっぱり言えないな、と。
つくづく、こちらも一緒に育ってきたんだなーと思います。
3月3日に想う / 愛犬と我が子と亡き祖母のこと
たくさんの雪が積もった3月3日の朝
昨日の豪雪には参りました。
雪かきに追われヘトヘトになったけど、
今朝は雪雲もすっかりなくなって、輝く青空と重量感タップリの積雪が美しく、
とても気持ちの良い散歩となりました。
ちなみに今朝の気持ち良い朝の散歩は15才のプリンだけ。
12歳のココはというと、最初から全く行く気ナシ。
彼女は散歩したい時としたくない時があり、
基本、家の中からゆっくり窓の外を眺めていたい人なのです( ̄▽ ̄)
大切な家族、プリン(♀)とココ(♀)
18年前、前の夫が闘病の末に亡くなり母子家庭になったとき、次男がしきりに犬を欲しがるようになりました。
その後、次男が5才のある日、根負けして迎え入れたのがチワワのプリンです。
そして案の定、躾からお世話全般をしなければならなくなったのは私。
家の中で犬を飼うなんて初めてで最初は苦労したものの、そのうちワンコの虜になり、
ある日ペットショップで売れ残っていたダックスをお持ち帰りしてしまったのがココです。
三男の場合は、生まれた時点でもうプリンとココが存在していました。
今となっては、家族の誰にとってもかけがえのない存在。
長男と次男も常に気にかけていて、
オカンの普段のLINEは大体スルーしたりと鈍い反応ですが プリンとココの画像を送るとすぐさま反応します。
「かわいい」「会いたい」・・などなど(-ω-)/
子供たちの成長を見届けながら、
アッというまに晩年期に突入した愛犬たちです。
居て当たり前だった人
ところで私自身、常にそばに誰かがいてくれて育ってこれた。。
そんな当たり前のことが何という幸せなことだったのかと気付いたとき、
その相手がもう手の届かない場所へ行ってしまったことを悔やんだりすることがありました。
親の離婚や再婚、同居していた叔母が嫁いでいったり、私の生まれ育った環境はちょっと人の出入りがある環境でしたが、
実家で18歳までずーっと一緒に過ごしたばあちゃんも、私にとってまさに居て当たり前の人でした。
⇑⇑ 孫娘の将来の幸せをどストレートに願ってくれていたことがわかるエピソードを、以前ここにに投稿しましたが、
”雛人形”の時期になるとやっぱりばあちゃんのことを思い出します。
50年ぶりに空で旦那さんと再会した祖母
認知症が進み、最終的には施設に入りました。
体は昔の人なので健康でしばらく元気そうにしていましたが、
そのうち年齢とともに衰えが激しくなっていき、
誰のことも分からなくなり、
最後は入退院を繰り返したのち2019年桜が満開の5月、入院先で息を引き取りました。
実家との距離が車で4時間かかるほど離れているため頻繁には会えず、
でもそのうち実家に帰省した時でも私は祖母に面会をしないで札幌に帰るということもありました。
あんなにしっかりしていたばあちゃんがばあちゃんでなくなってしまった、
また次に来たときに会えばいいや。。と、そんな感じで。
目を背けたい、プラス、ボケてしまってもばあちゃんはまだまだそのままそこにいてくれるんだろうという勝手な思い込み。
コロナ禍でもないのに、いくらでも会えたのに。
葬儀の帰りに高速SAにて
祖母は大正生まれのスーパーばあちゃん
ばあちゃんが30代半ばの時、旦那さんが私の父を含む3人の子を残し病気で他界、
ばあちゃんはそれ以来、毎朝一途に旦那さんの仏壇に「お楽になってださい。どうぞ私たちをお見守りください」と手をあわせながら、
家業の商売を切り盛りし3人の子をひとりで育てました。
絵に書いたような意地悪を繰り広げる小姑を含む親戚たちに囲まれた土地で、
ひたすら子供を育てながら生き抜くことに前向きだったようです。
また、店頭に来るお客さんにはたくさんの笑顔と親切を振りまき、苦労を絶対人に見せる人ではありませんでした。
それがばあちゃんの自然なばあちゃんらしい生き方でもありました。
でもでも、ばあちゃん本当に寂しくなかった?
寂しかったしょ。。
最後あんまり会いに行かないで、ごめんね。
私は、若かりし35才の旦那さんの遺影を胸に棺で眠る96才の祖母に、
「50年ぶりにじいちゃんと会えるね」
「ばあちゃんごめんね」を胸の中でただただ繰り返すだけでした。
同級生の言葉で気づかされた
35年前私が中学生のとき、同級生の部活の仲間達がしょっちゅう家に遊びに来ていました。
その友達の1人が、ばあちゃんが亡くなったあと私にこんな話をしてくれました。
「Roseのばあちゃんね、Roseのこと本当によく褒めていたんだよ。よく昔Roseの家に遊びに行ってた時ばあちゃん私によく言ってたよ、Roseは本当にいい子で、本当にどっこも悪いところが無い子なんだよって。 ニコニコして言ってた。 ただ『でもRoseは裁縫してると必ず縫い針をどっかやっちゃうの、そこだけなの、心配は』って困った顔してよく言ってたよ」
孫をそうやって本当にいい子なのと自慢していたばあちゃん。
普通いくらカワイイ孫でも、
私のいないところでそんな風に孫の友達に言う?(笑)
それに、そんなにいい子でもなかったよ?私・・
でも私はそれを聞いて、
涙がブワーっと溢れたのでした。
物心ついた時にすでに一緒に暮らしていたばあちゃんは決して怒る人じゃありませんでした。
何かを強要してもこないし、確かに私のことは常に肯定し応援してくれました。
そして針を失くすという不注意極まりないマヌケなエピソードまで(=゚ω゚)ノ
実は私は昔から恥ずかしいくらい裁縫が苦手で、
でも結婚しても息子たちの背番号を縫い付けたり他にもほころびを縫ったりするくらいしかやってきていないけれど、
それでさえ「あれ??針、あれ??針どこいった💦」と最後なぜか必ず慌てるのでした。
いくつになっても、そうやって慌てふためく自分が恥ずかしくて、
まあでも誰に知られることもないか、と思っていました。
でも、ばあちゃんは知っていた
私をいつも見ていてくれてありがとう。
いつも当たり前にいてくれたこと、
ありがとう。
きっと私が今まで自分の3人の息子たちのことよ~くそばで見ながら(ウザがられながらも)全力で可愛がってきたように、
ばあちゃんも私にそんな気持ちでいたんだね。
じゃあ、ばあちゃん、
それってさ、
きっと、幸せ💕だったよね・・・
愛を与えられること、それを当たり前だと胡坐をかいてはいけなかったのかもしれない。
でも、そこで安心して生活してこれたことは他の何にも代え難いし、
ばあちゃん最期まで、コンプレックスだらけの私に自信をくれました。
これからも頑張って生きていくね~